原田和典の「ずっとジャズが好きでした」 ~「MILESエレクトリック・バンドの轟音を浴びる」編
昨年末、映画『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』が日本公開されました。監督と脚本は人気俳優のドン・チードル。もともと大のマイルス・ファンであり、自らも趣味でトランペットを吹く彼にとっては、“自分の演じたいマイルス像をとことんやりきった”というところでしょうか。作品完成後の達成感は並大抵のものではなかっただろうと思います。
映画『MILES AHEAD』
オリジナル・サウンドトラック
「ドンが撮影セットの中で立っていたのを見たとき、“あっ、アンクル・マイルスだ!”と思ったよ。雰囲気からしぐさから、本当に似ていて驚いた」
こう語るのは同映画のプロデューサーを務めたヴィンス・ウィルバーンです。ヴィンスの母、ドロシー・デイヴィス(旧姓)はマイルスの姉。つまりヴィンスはマイルスの甥にあたるのです。小さい頃から音楽が大好きで、10代の頃にはファンク・バンドのドラマーとして活躍していました。1976年から80年までマイルスは人前での演奏活動をしていませんが、ヴィンスは何度も何度も「マイルスおじさん、プレイを再開してよ」とせっついたそうです。ある日、ニューヨークに住んでいるマイルスに、ドロシーが飛び切りファンキーな音源を電話口で聴かせます。
「ヴィンスのバンドよ、どう?」
「いい音だな、ちょっとあいつに替わってくれないか」
「マイルスおじさん、ヴィンスです」
「ゴキゲンなバンドじゃないか。交通費を負担するから、バンド全員でニューヨークに来い」
ヴィンス達がニューヨークのマイルス邸にいくと、そこにはトランペットを抱えた準備万端のマイルスがいたそうです。
「この時のセッションがきっかけで、叔父はカムバックしたんだ。マイク・スターンやマーカス・ミラーの入ったバンド(通称カムバック・バンド)を組むのはその後だ。俺やキーボード奏者のロバート・アーヴィング3世と組んだラインナップこそ、真の、本当にオリジナルなカムバック・バンドだね」
以上は映画公開時、ヴィンスにきいた話です。そしてぼくは伝えました。「あなたのヘヴィーなバック・ビートが大好きです。次は映画プロデューサーではなく、ドラマーとしてのヴィンス・ウィルバーンに会えないでしょうか」。そういうとヴィンスはニコッとして、こう言いました。
「割と早く日本に戻ってこれると思うよ。もちろんロバート(・アーヴィング3世)も一緒にね」
ぼくはわくわくしながら、その日を待ちました。そして “MILESエレクトリック・バンド”は4月7日と8日、ビルボードライブ東京に登場しました。
メンバーは総勢10人。ヴィンスとロバートは83年にマイルス・バンドに正式に加入し、『デコイ』、『ユア・アンダー・アレスト』等のアルバムで演奏しました。
ベースのダリル・ジョーンズは確かマドンナのバンドにいたところをマイルスに引き抜かれ、やはり『デコイ』、『ユア・アンダー・アレスト』で演奏。そこをスティングに抜擢され、ビル・ワイマン脱退後からはローリング・ストーンズで活動しています。ストーンズが稼働しているとき、ダリルは他の仕事ができないので、今回の参加は本当にスケジュールに空きがあったからこそ実現できた快挙です。
ギターのブラックバード・マクナイトは、75年にファンク街道真っただ中だったハービー・ハンコックのバンドに参加、その後ジョージ・クリントンの“パーラメント/ファンカデリック”で演奏します。マイルスの許には86年、短期間ですが在籍したことがあります。またムニュンゴ・ジャクソンは、マイルス・バンド最後のパーカッション奏者でした。
他のメンバーは生身のマイルスを知らない世代といっていいでしょう。考えてみれば、亡くなってもう25年が経つのです。ロバートの愛弟子といっていいであろうグレッグ・スピロは1985年生まれ、アコースティック・ピアノにも魅力を発揮しました。タブラのデバシシ・チョードリは、72年の『オン・ザ・コーナー』『イン・コンサート』に加わっていたバダル・ロイを意識した人選なのでしょうか。サックスは、マイルスに傾倒するトランペット奏者としても知られている(本人の努力はさておき、個人的にはたいして似ていると思いませんが)ウォレス・ロニーの実弟であるアントワン・ロニーが担当。話題の少年ジャズ・ドラマー、コジョ・ロニー(来月13歳になる)の父親です。そしてある意味、最も注目され、最もプレッシャーがかかるであろうトランペットのパートには、1983年トリニダード・トバコ出身の逸材エティエンヌ・チャールズがつきました。70年代のマイルスは楽器をエレクトリック・ギター用のエフェクターにつないでプレイすることも多かったのですが、彼は一切、エフェクターを使わず吹ききりました。
Photo:Masanori Naruse / 提供:Billboard Live TOKYO
演奏曲目は「ワン・フォン・コール/ストリート・シーンズ」、「ザッツ・ホワット・ハプンド」、「デコイ」、「ブルース」(「ザッツ・ライト」風)、「サンクチュアリ」、「ステラ・バイ・スターライト」、「イン・ア・サイレント・ウェイ/イッツ・アバウト・ザット・タイム」、「フットプリンツ」等。いわゆるエレクトリック時代に限定しない、幅広いセレクションでした。
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「イン・ア・サイレント・ウェイ」収録
『In A Silent Way』 -
「サンクチュアリ」収録
『Bitches Brew』
ぼくは「70年代を意識した選曲」か、「ヴィンスやロバート在籍時代の楽曲をまとめてプレイする」かのどちらかになるのではと予想していましたので、ずいぶん幅広いセレクションだと思いました。とはいえ、いわゆるカムバック・バンドのベース奏者であり、のちにプロデューサーとして『TUTU』等のヒット作に尽力するマーカス・ミラーがらみの曲はひとつもありませんでした。ぼくはそこにヴィンスの“意地”を感じましたが、皆さんはいかがでしょうか。
そして、マイルスが生きていた頃には使われていなかったテクノロジーが用いられていたのも、音楽に新鮮味を加えていました。DJロジックが用いた機器はその典型です。ラップトップの使用も同様です。メンバーが演奏に取りかかる前、スクリーンに映像がうつし出されましたが、こういう演出もマイルス存命中にはありませんでした。25年の時の流れは、やはり大きいのです。アントワンはマイルスが愛用したハーマン・ミュートのほか、ストレート・ミュート(マイルスは40年代、チャーリー・パーカーのバンドでしばしば使っていた)も用いて、サウンドに変化を加えます。
万華鏡のようなひとときでした。マイルスの旧作も改めて聴きたくなりましたし、各メンバーのソロ作品も大量に購入したくなりました。
Photo:Masanori Naruse / 提供:Billboard Live TOKYO
■執筆者プロフィール
原田和典(はらだ・かずのり)
ジャズ誌編集長を経て、現在は音楽、映画、演芸など様々なエンタテインメントに関する話題やインタビューを新聞、雑誌、CDライナーノーツ、ウェブ他に執筆。ライナーノーツへの寄稿は1000点を超える。著書は『世界最高のジャズ』『清志郎を聴こうぜ!』『猫ジャケ』他多数、共著に『アイドル楽曲ディスクガイド』『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』等。ミュージック・ペンクラブ(旧・音楽執筆者協議会)実行委員。ブログ(http://kazzharada.exblog.jp/)に近況を掲載。Twitterアカウントは@KazzHarada